初めての出会いなのに、

心の中に棲みついてしまうギャッベ。

「懐かしさと新しさ」が共存し 

進化を続けるギャッベ絨毯

 


ギャッベの織り手カシュガイ遊牧民。

彼らはどこからきた人々なのか……

 

 カシュガイ遊牧民は、古くはイランの北部にあるカスピ海沿岸のアゼルバイジャンからトルクメニスタンにかけて遊牧生活をしていた、トルコ語系の人たちと言われている。

 16世紀になるとアゼルバイジャン方面からサファビー朝(1501~1736)がイラン高原を統一、遊牧民はその機動力の面からも軍事優位性は圧倒的。軍事力を背景に、サファビー朝の中期のシャー・アッバース1世のころ都をイスファーハンに移し、全盛時代を迎える。この王朝と連動する形でカシュガイ遊牧民も南下してイスファーハンの南西に位置する地方都市セミロン、ヤスジ周辺の高原地帯に移り住み、栄えたと言う。この地方は現代でも遊牧する人々が、夏の間のサラハット(高冷地)として過ごす土地である。

 18世紀後半に、カシュガイ族を構成する5つの大きな部族、アマレ、カシュクリ、シシブルキ、フェルシマダン、ダルシェリといくつかの小さな部族を支配していたジャニ・カーン・カシュガイという指導者がカシュガイ南部連合を創設。彼の家族の姓が支配していた部族全体に使われるようになったというのが「カシュガイ族」の名の起源とされる。

 イラン南西部の地域に散らばって、自由に活動していたカシュガイ遊牧民。ところが、1960年代初頭、モハマド・レザー・シャーによって牧草地は全て国有化され、全国的な土地改革が行われた。そして政権に影響を与えるカシュガイ遊牧民の指導者カーンも国外に追放されてしまう。

 以後、カーンの元で比較的自由に行動できていたカシュガイの生活は、中央政府の管轄下に置かれ、定住生活を強いられるようになった。ところが、そんな圧力にも屈せず、定住を嫌い、今も伝統的な原野での遊牧生活を送っている人たちが大勢いる。この人たちはクーチロー(野を歩く人)と呼ばれている。

春と秋、年に2回、クーチローは、約300kmを3週間かけて歩いて移動する。伝統的な大移動である。
春と秋、年に2回、クーチローは、約300kmを3週間かけて歩いて移動する。伝統的な大移動である。

2019年SPRING イラン取材

天然染料の旅


生命の色「茜」の染料

ローナスの生産地を訪ねて 

 

 ギャッベの羊毛を染めるために、イランで広く使われている材料としては、ローナス(西洋茜)、ザクロ、ジャシール、クルミなどが挙げられる。いずれも単体で使用することは無く、何種類かを組み合わせて絨毯商独自の個性を出している。それぞれが得意とする色の世界があり、私たちが扱うファーハディアン社では、深い茜色とゴールドと呼ぶ輝きのある黄金色は他の追従を許さない。

 4種類の天然染料の中でジャシールのみが野生種で、標高2300m前後の山岳地帯に自生している。

 これまで取材した染色場では、染料は粉に挽かれたり、細かく刻まれた物しか目にする機会が無く、どうしても、この強い染色を成しえる染料の元の姿を見たいと言う思いは募るばかり。特に茜色の染料ローナスと、野生の植物であるジャシールに興味があった。ところが、いずれの産地も首都テヘランからも、カシュガイ族の多く住むシラーズからも遠く離れた不便な場所にあり、訪れる機会を逸していた。

 2019年6月上旬、念願のローナスとジャシールの生産地を訪ねる旅を、ファーハディアン社の社長、ホマイヨンが応じてくれるという。ローナスはイスファーハンの東に位置する州都ヤズドの北、100㎞にあるアルデカンと言う町の周辺の畑で栽培。ここはイラン土産でもおなじみのピスタチオの産地としても名の知れた土地だ。

 4WDでの全行程4泊5日のスケジュールだが、ドライバー2人にカメラの向村と取材の片岡の合計4人。その地でギャッベを撮影したいという希望があり、積めるだけのギャッベを積み、車内スペースに私物は最小限度の着替えのみ、ただし6月のイランは日中の気温が42度まで上がるので、水分補給は欠かせない。日本のようにコンビニがあるわけでもなく、高速道路に頻繁にサービスエリアがある国情でもない。ペットボトルの水は十分に積み込んだ。

 アルデカンにあるローナスの栽培地はピスタチオのプランテーションと共存する形で広がっていた。乾燥して塩分の強い土地。表土には地下水が蒸発した後に残る塩分が白く筋を作って広がっている。ローナスとピスタチオを混栽している理由は、繁殖力の強いローナスが表土を覆い尽くし、土地の乾燥を防ぐ目的があるという。掘り起こしたばかりのローナスの根を折ると、芯は黄色で、周辺部にはあの鮮やかな茜色が宝石のように輝いていた。2年間栽培をして掘り起こし、2〜3週間乾燥させてから石臼で粉に挽くと言う。柱を軸にゆっくりと回る直径が1.5mはある巨大な石臼、昔はこれをラクダが引いて回っていたと言うが、今は動力源はモーター。動力は違うとはいえ、この石造りの建物は120年以上前の建造物。良い発色を得るために、挽くときに日差しと熱が御法度。天窓からのわずかな光源と120歳の石臼が、ゆっくりとローナスの根を砕いていく。微粉末に挽かれたローナスは舞い上がり、挽き場の空気は暗い茜色に染まっていた。

掘り起こしたばかりのローナスの根
掘り起こしたばかりのローナスの根
村でいちばん古い石臼がゆっくり回る。ラクダのゆっくりした歩みがちょうどよかったのかもしれない。
村でいちばん古い石臼がゆっくり回る。ラクダのゆっくりした歩みがちょうどよかったのかもしれない。

淡い上品な「黄色」の染料

ジャシールが自生する山を訪ねて 

 

 ヤズドに1泊した後、西に向かい次の目的地ジャシールの山があるヤズジの町を目指す。

 この周辺には、カシュガイ遊牧民の夏場のキャンプ地サラハットと呼ばれる高原が広がっている。ヤズジの町から離れ、バグチャ・ジャリィと言う小さな村に着く。山に案内をしてくれるカリファさんが大きな笑顔で迎えてくれる。彼の刈り取ったジャシールがシラーズにあるファーハディアンの染色場で使用されている。カリファさんの本業は村の小学校教師。「11人の子どもたちを一人で教えているのさ」と、屈託なく笑う。6月上旬でジャシールの刈り取りはシーズンを少し過ぎていると言うが、山の高い場所には残っていると遠くの山を指さしている。ジャシールを刈り取るのにそんなに遠く離れた所まで行く訳がないと甘く考えていた我々は、道なき道、急斜面をガシガシと登っていくカリファさんの後をついて行くのも必死の思いである。これはもうれっきとした登山、安易な考えを後悔しても始まらず、付いて登るのみ。ようやくジャシールの大きな株が自生する標高2300mまで登ってきた。「アッ、撮影用のレフ板を忘れてきた」。しかし誰も取りに行くと声を出す者はいない。強烈な太陽は中天から容赦なく照りつけ、汗が背中を滝のように流れる。

 そんな我々をよそに、熊手のような大きな手をしたカリファさんは実に楽しそうにジャシールを刈り取っては脇に束ねていく。刈り取った物は村まで持ち帰らず山の斜面に2〜3週間放置し、乾燥したころ、小さく刻んで、袋詰めしてから下ろすそうだ。この土地で生きる人の知恵に感心する。6月上旬で、すでに黄色くなりつつあるジャシールだが、発色に問題はないと話していた。ジャシール単体では、強い色には染まらず決して主役になれる染料ではないが、上品な黄色は他の染料を引き立てる名脇役を果たす、無くてはならない染料。刈り取りの最盛期には、村の人たち数人と一緒に山に上がって来て、刈り取り作業をするそうだ。

 下山する際がまた愉快。片岡の歩きが不安定なのを見るやカリファさんは片岡の手をとり、踏み跡の石を勢いよく蹴飛ばしながら、実に楽しそうに下りていくのであった。

ジャシールを乾燥した葉は、お茶にすると、胃腸の調子を整える薬にもなると言われている。
ジャシールを乾燥した葉は、お茶にすると、胃腸の調子を整える薬にもなると言われている。


アートG館長 向村春樹が20年にわたり現地を取材 

見て、感じて、撮影したギャッベの世界

フォトエッセイ『大地の絨毯 GABBEH』 

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